まだブログを続けますよすよ

2003年末にはてなダイアリーを始めて以来15年余 2019年にコチラに移転しました 

大井競馬・代替番組(12月10日放送分)

今更ながら見ました。
今年の重賞競走プレイバックはなんといっても東京記念シャコーオープンのブッチ切りがインパクトだったわ(笑)
あとは馬券にまつわる恨み言は自主規制(謎)
それにしてもJBCをはじめとする交流競走で軒並み中央勢に持っていかれたのがなんか理由なく腹立たしい(爆)
後半は名馬ファイルのコーナー。
コンサートボーイ(39戦11勝)
平成7年のクラシック(羽田盃東京ダービー東京王冠賞)を三連続2着した。他に平成9年帝王賞優勝(アブクマポーロバトルラインとの激戦)、東京大賞典2着など記録と記憶の両方に残る馬だった。
ツキノイチバン(12戦11勝)
TCKで故障を抱えながら連勝記録を打ち立てTCKで散った悲劇の馬。この馬がグランドチャンピオン2000で故障せず無事ならばどこまで昇りつめたのかわからない魅力のある馬だった。合掌。
主な勝ち鞍は金盃・アフター5スター賞
トチノミネフジ(20戦17勝)
南関東アラブ馬最後のヒーロー。旧4歳時にはアラブ三冠(千鳥賞・アラブダービー・アラブ王冠賞)&全日本アラブ大賞典を勝ってアラブ日本一になった。
また、報知グランプリCと隅田川賞でサラを破った勢いで中央転戦。吾妻小富士オープンで締め切り直前まで一番人気であったという事実は慣れない芝で大敗したことを差し引いても記録的な出来事である。
その後はワード賞で65キロ(!!)を背負って勝ち全日本アラブ大賞典の連覇。そしてNRA年度代表馬(アラブ馬唯一の快挙)を受けて競走生活を締めくくった。
が、種牡馬としては非常に残念なことに1シーズンの供用で急逝。その強さが後世に残らなかったのは返すがえすも惜しまれる。
ホワイトシルバー(49戦10勝)
名馬と呼ばれる馬にしては珍しい晩成の牝馬
旧6歳秋のグランドチャンピオン2000で人気薄でありながらまくるように進出して快勝。ここから東京記念を勝ちケガを押して出走した東京大賞典までも制してスターホースとなった。
翌年の大井記念で2着をキープしたレース中に骨折。命さえも危ぶまれたが無事に生還できたのは大切にした厩舎関係者の気持ちに応えたのだろう。
ブルーファミリー(26戦9勝)
羽田盃を無敗で制した天才肌の快速馬。だがそんなブルーファミリーも「無敗の東京ダービー馬はいない」ジンクスの前に敗れてしまった。
その後東京王冠賞失地回復をしたがそこで燃え尽きたのかその後は輝きを取り戻せなかった。
サンライフテイオー(20戦4勝)
大井を代表する名騎手の一人である高橋三郎現調教師が騎手生活の最後に育てた名馬。
第1回のスーパーダートダービーでセントリック・キクノウィン・シンコウウィンディ・イシノサンデーらを相手にゴール前迫られるも逆に突き放す滅多に見られない離れ業を見せて初代王者となった。その後サンライフテイオーは調教中の事故で死んでしまったが、この馬の経験が高橋調教師の育て方に反映されているのは間違いないだろう。
ジョージタイセイ(29戦12勝)
藤村和生騎手に初重賞をもたらし、ヒカリルーファス・コンサートボーイと共に平成7年のクラシックをにぎわせた一頭。
東京ダービー制覇後に故障で長期休養したのが運命を狂わせたのか、その後大井で輝けなかったが転厩した佐賀で最後の勝利を挙げられたのは馬自身のプライドだったのかもしれない・・・
ナイキジャガー(9戦6勝)
大井を代表する的場文男騎手が所属する長沼正義厩舎から初めてクラシックを制したこの馬は姉ナイキグレースの実績からもデビュー前から期待されていた。
それに応えて京浜盃黒潮盃と連勝して羽田盃を制覇。しかしそこで骨折が判明して短いクラシックシーズンを棒に振ってしまった。
翌年のマイルグランプリ2着・大井記念3着で復活の手応えをつかんだが帝王賞を前にまたも骨折。残念ながらそのまま引退。
キャニオンロマン(現役馬)
平成の怪物と呼ばれたこの馬は天性の能力で吉井竜一騎手を背に京浜盃では大出遅れしても勝利して、羽田盃も堂々制覇。しかし翌日に骨折が判明。三冠の夢は閉ざされてしまった。
その後復帰と休養を繰り返しながら渋く活躍している。
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あーあ、千葉テレビにももっと船橋競馬をたくさん取り上げてもらわんと(汗)